日本では、自死で亡くなられる方が年間で約2万1,000人(2020年実績)。
特に若い世代の自死率は、他の国々と比較しても多くなっている現状があります。
今回は、YOMOYAMAのメンバーで、(日本の大学で学んでいる留学生、及び日本で生まれ育ったYOMOYAMA編集部メンバー)「自死」について話をしてみました。
YOMOYAMAでは、このテーマについて話し合い、深掘りして考えていきたいと思います。
【今回、ご協力頂いた方々】
皆さん、こんにちは。本日はよろしくお願いします。
以前、NHK(日本の公共放送)で報道されたのですが、去年1年間に自殺した人は全国で合わせて2万1000人を超え、2009年以来の増加に転じたとのニュースがありました。
女性の自殺が15%も増加したほか、高校生までの児童・生徒でも過去最多の自殺数となり、日本政府は、新型コロナウイルスによる社会不安の高まりが影響しているのではないか?と考えているようです。
しかしながら、過去数年の推移をみても日本の人々が自死に至ってしまう要因はコロナ以外にもあるのは明白です。これからご紹介するような日本の現状をベースにしつつ、この問題にどう向き合っていけば良いか、皆さんとお話できればと思っています。
まずはざっくり、日本では、15〜39歳の死因の第1位が自殺(自死)という現状をどう思いますか?
若い世代の間で、人が亡くなる理由のトップが自殺だというのはとても衝撃的です。
日本における若者の自殺率が高いことは非常に残念で悲しいことですが、この問題に対処していくためには、より多くの予防的な努力と政策が必要だと思います。
私の感覚が麻痺してしまっているのだと思いますが、ニュースでそういった事件を耳にしても聞き流してしまっている節があります。正直「他人事」とドライになってしまっている気持ちも強いです。
正直申し上げて、私の感覚も鈴木さんに近いです。あまりにもこういったニュースが多く、慣れてしまっているように思います。私だけじゃなく多くの日本人も、こういった事実や数字というのを深刻な問題として受け止めることができていないのが現状ではないでしょうか。
そして、先進国(G7)の中で、自殺が15〜34歳の死因の第1位となっているのは日本だけ、というのも多くの日本人は知らないことだと思います。
日本の若者の死因で自殺が一番多いことは、新聞記事を通して知っていました。正直、日本は非常に厳格な社会で、個人に大きなプレッシャーをかけることを知っているので、特に驚きませんでした。
日本人には個人の感情を表現する文化がないことが、大きく影響していると思います。感情(特に悪い感情)を発散しないと、イライラしたり、寂しくなったりして、鬱になってしまうのではないでしょうか。
私が日本に必要だなと思うのは、物質主義に偏った考えではなく、信仰と共感の心です。
トラブルの主な原因は、自分を取り巻く環境の問題であることが多いと思います。
つまり、社会的なプレッシャーを減らし、過度に自分を責めることを引き起こさなければ解決に近づくのではないでしょうか。そうすれば、失敗を悲劇的な出来事として捉えるのではなく、そこから学べること、成長の兆しとして捉えることができると思うのです。
加えて、過酷な労働文化、孤独感、適切な指導の欠如、人生の大きな目的や意味を感じられないことが、このような悲劇的な決断をしやすくしているのではないでしょうか。
日本は先進国の中でも高齢化が進んでいて、そもそも若年層が少ない状況です。そんな環境下で、若くして自ら死を選んでしまうことは社会的にも経済的にも大きな損失であるように思います。
会社でも学校でも各人が所属する世界が極端に狭くなっていること、そして本来人間の潜在的な可能性を高めてくれるはずのSNSやLINEのようなデジタルツールが持つ負の側面が目立ってきてしまい、大きな悪循環を生んでしまっているようにも思います。
多くの若者が家庭や学校、部活動などを自身の居場所だと考えていると思いますが、いじめなどを境にその場にいることが苦痛になった瞬間から、辛いけれど逃げ場がない、もう死ぬしなかい、と自ら自分を追い込んでしまっているようにも思います。我々には無限の選択肢があるということを、改めて伝えてあげる必要があるのだと思います。
Salahさんが仰るように、信仰が大きな要素というのは興味深いですね。
宗教を通じて自分の人生を見つめ直すことができたなら、自殺以外の選択肢も見つかったのではないか。という感覚でしょうか?
そう思います。
宗教的な観点から人生を見直し社会を見直せば、自殺率の高さの原因も含め、日本の問題の多くは解決するでしょう。言い換えるならば、大きな目標を持って目的意識を持って生きること、そしてそれを洞察して理解することは、間違いなく助けになります。宗教はその助けになると思います。
例えば、毎日の礼拝や祈りは、弱っているとき、孤独なとき、苦しんでいるときに役立ちます。
確かに、人生とその中での私たちの役割について理解することは、宗教がなくてもできるかもしれません。しかし、苦難の中にいるときにその意味(人生とその中での私たちの役割)を思い出すことは難しいこともあると思います。なぜなら、毎日の中でその理解(人生とその中での私たちの役割)を育んだり、それを毎日の指針として生きるということをしていないからです。
このような問題は、イスラム教では完璧に扱われています…。
例えば、イスラム教では人生には大きな目的があり、この人生を通して天に受け入れられることを求めなければなりません。コーランは起こるすべてのことが試練であることを教え、人生には苦難があることさえも明らかにしています。
神に最も好意的な人間であるとされている預言者たちの人生の物語を例にとると、ある者は殺され、ある者は戦わされ、ある者は火の中に投げ込まれ、国を追われ、誘拐され……などなど。しかし、彼らは忍耐強くそれらの苦難に対応し、それらの忍耐によってどんどん報われていくことを理解していました…。私たちの魂と体は神からの預かり物であり、私たちはそれらを大切にしなければならず、裁きの日にはそれらについて問われることになります。
イスラム教には、このような教えがあることを初めて知りました。
確かに、予め人生には苦難があることを知っていることで、自殺以外の選択肢を探すきっかけになるかもしれないと思いました。
ただ国を追われたり、誘拐されたりという苦難が訪れた時、これらを忍耐強く耐え、乗り切れるのは相当大変だと想像します。。。
また、イスラム教においては、人種や民族、社会的背景に関わらず、神の目には皆が平等であるとされているということも特筆すべきことです。神は私たち一人一人を様々な状況で試すことを選ばれました。職場や社会で権力や地位のある人は、その立場が神に有利になるわけではなく、彼らの試練であり、慈悲深く、公平で、謙虚であるようにと指示されています。そして、部下や従者をどのように扱ったかが問われます。
また、全ての人に対しても、可能な限り最高の方法でサービスを提供すべきではあるが、それは自分の限界の範囲内に限られるとされています。というのも、神自身が自分の限界を超えることを求めておらず、心身の健康に配慮するよう指示しているからです。
イスラム教の説明が長くなってしまって恐縮ですが、最後に強調しておきたいのは、イスラム社会においては人と人の間で契約を結んでいるということです。
したがって、人々は誰もが公平です。いかなる場合でも、雇用主は従業員とその経済的ニーズを乱用することは許されません。契約書に週40時間、Xドルと書かれていれば、それだけで関係が成立します。無料で時間を延長したり、上司の退社を待ったり、自宅で追加の仕事をしたりしてはいけません。ただし、従業員が100%の同意を得て自発的に受け入れている場合で、社会的・経済的な圧力を受けている場合は除きます。
個人に対する社会的プレッシャーが強いことや、抑圧傾向な国民性など、皆さんが日本に対して似た印象を持ってることは興味深いです。
また信仰することで心の拠り所が生まれ、それが苦難と向き合う際の心の支えになるという点は、これまで考えたことがなかったです。
皆さんの母国であるベトナムやシリアの若者の状況もぜひ知りたいです。皆さん自身の経験も交え、お聞かせください。
私は、当時のパートナーと別れた時にうつ病になった経験があります。高いビルの実家のアパートのベランダに立っていると、たまに手すりから身を投げ出して自分の人生を終わらせることを考えてしまうほど辛くて悲しかったです。
精神的に不安定になった私は、タバコの吸い過ぎでその穴を埋めるようになりました。食欲もなく、睡眠も取れませんでした。それが起きたのは、別れてから2週間後のことでした。その後、私は周囲の環境を変えることでネガティブな考えから抜け出そうとしました。
旅行に行ったり、新しい人に会ったり、自分の気持ちを伝えたりしました。自分のことや好きなことに集中するようにしました。最終的には、そこから抜け出すことができ、強くなれました。
あの悪夢を生き抜いた自分を誇りに思います。
もちろん、仕事でも、学校でも、日常生活でも、この世の誰もが悲劇的な出来事に遭遇することはあるでしょう。また、死は常に人生に付随するものであり、遅かれ早かれ大切な人を失うことに遭遇することを受け入れなければなりません。
個人的に、そして母国の戦争の結果として、多くの悲劇的な出来事を経験しました。
その際、信仰、祈り、そして神の書物であるコーランが人生の目的を常に教えてくれましたし、人生は常に私たちをテストする場所であり、私たちは良い条件でテストされていることを感謝するのだと、苦難の中で私たちがどう忍耐するかどうかだと、思うようになりました。
計画や努力は、常に望んだ方向にいくとは限りません。運命や運命を受け入れる姿勢も必要ではないでしょうか。
Salahさん、自死を選んでしまう多くの若者は自身に起きた辛い出来事を誰にも話せず、一人で抱え込んでしまう傾向にあります。例えば、Salahさんにとってのコーランのように拠りどころがなく、独りで悩み苦しんでいる人にたいして、我々はどういったことをしてあげられるでしょうか?
もちろん、神様が私たちと一緒にいて、私たちを見ていてくれて、私たちが話したり祈ったりするときにはいつでも聞こえているという感覚は、とてもほっとするものです。
それと同時に、どんな社会でも、弱い人、弱者を見守らなければなりません。
導き、支え、連帯することが社会的責任であると思います。
これは、個人から始まり、家族、隣人、友人、同僚へと広がっていく、配慮と慈悲の文化を私たちの間に広めることから始まるべきです。日本の文化にはこのような伝統がたくさん組み込まれているにも関わらず、厳しい資本主義と極端な物質主義がこれらの美しい伝統を変えてしまったように見えます。もともと持っていた.それらを、強化する必要があります…。
さらに、これらの問題に対処するためのNGOやコミュニティ・センターが必要であり、これらのケースを処理するための24時間のホットライン・サービスも必要です…。これは、政府による規制の強化や労働環境の改善と密接に関連しているはずです。
鈴木さんはいかがですか?
私も、働きすぎで心身ともに疲弊し、3ヶ月会社を休職したことがあります。
日本社会、特に男性社会においては、少なくなってはきたものの「徹夜で仕事をした」や「寝る暇もないほど忙しい」など、長時間労働に耐えられるタフさ備えていることを自慢するような風潮が未だにあるように思います。
私はそういった環境に適応できず、結果的に体調も崩してしまったのですが、休んでいるうちにそれで良かったのだと思えるようになりました。
休み始めた時期は、上司から言われた「他の人も同じくらい働いている」「自分だけが辛いのではない」という言葉を思い出し、あの仕事量をこなすことができない自分はダメな人間なのだと思って更に落ち込んでいましたが、他人と比較することを止め、勤めている会社だけが私の人生ではないという当たり前のことに気づいてから、少しだけ前向きになることができたように思います。このYomoyamaの取り組みも、そう思えたからこそ始められたプロジェクトだと思っています。
鈴木さんは、激務でも有名な広告会社で働いてらっしゃると思うのですが、過労死が社会問題化したことで労働時間規制など労働者保護のための政策が徐々に整備されつつありますが、現場での実感としてはいかがでしょうか?
そうですね……たしかに、月の残業時間の上限を制限するような規制ができたことで一見改善されたようにみえますが、実態としてはほぼ変わっていないと思います。
日本の企業、いや我々の業界だけに限った話なのかもしれませんが、よく上司から「上手くやっといて」と指示をされることがあります。労働時間が月の規定時間を越えそうなとき、提案書を仕上げるために深夜まで業務をしなければならないとき、本来は上司に申請をして承認を得る必要があります。しかし、部下からの申請を全てひとつひとつ承認していくと、労働実態は何も変わっていないと当局から指摘されてしまう。だから、「そこは上手くやっといて」と曖昧な指示だけが出されることになります。つまりは、「必要ならばやって欲しいんだけど申請はしないで、その分他の時間で休んだりして調整してね」という言外の指示がある訳です。
Salahさんが「契約」について言及されていましたが、日本の雇用契約においては契約というのがあまり機能していません。それは、雇用主・労働者の双方に原因があるのですが、改めて契約というものを捉え直す必要があるように思いました。
現場からの、貴重なご意見、ありがとうございます。
それでは、本日最後のテーマになります。
社会全体で、自死や心身の不調で悩む人を減らそうと思った場合、どのようなことを行うのが良いと思いますか?
社会全体で自殺を減らすための最善の方法は、共有と思いやりの新しい文化を作ることだと思います。自分の感情を表現することは良いことであり、社会では歓迎されるべきことだということを知る必要があると思うのです。個人としては、心の病を抱えている人を見つけサポートをするために、家族や友人が大きな役割を果たせると思います。親は家族間の信頼感を作り、友人はたまには手を差し伸べて様子を見るべきだと思います。
まず政策的な観点からは、労働文化やルールの調整、いじめや虐待をした管理職の告発、ホットラインの設置、心の相談窓口の設置、無給残業や過重労働を許さないことだと思います。
次に私個人としては、社会の最初の種である個人をより重視し、物質主義的な傾向を抑え、NGOの活動を可能にし、これらの問題に取り組むための専門センターを作ることではないかと考えます。
まずは、過度な労働、過度な抑圧を防ぐことです。しかし、現在の政府が推進する働き方改革でが進める「労働時間規制」では一定の効果しか見込めず、自殺者を減らすことには役立たないように思います。
むしろ、個々人が働き方の選択肢を広げられるよう国や自治体がいわゆるセーフティネットを拡充することのほうが重要ではないでしょうか。
また、私個人の経験からも、会社など何か1つに依存することを避けることが重要です。収入源や人間関係などを、会社だけに依存してしまうと会社で問題が生じたときに逃げ道が無くなってしまいます。例えば、収入を会社からの給与だけに依存せず複数持っておくこと、辛かったらいつでも辞められる状況を作っておくこと。友達や恋人・家族、何か1つだけに依存した環境を作り出さず、感情も分散させておくことが必要と思います。
この自死の問題は、学校(学業)や仕事(会社)と密接に結びついているケースもあり、なかなか即効的な解決策を見出すことはできませんが、こうして話し合うことで一歩でも二歩でも現状を解決に向けて進めていければ良いと思います。
YOMOYAMAでは、引き続きこのテーマについて考えていきたいと思います。
皆さん、本日は本当にありがとうございました。
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