日本とインドって、全然違う国ですよね?

片方はシーフードを愛する国(日本)で、片方は世界一ベジタリアンが多い国(インド)。片方は均一的な社会と言われ(日本)、片方は多様性のるつぼ(インド)。片方は人口減少に直面しており(日本)、片方は世界最大人口に近づいている(インド)。全くもって、対照的な2国です。

しかし、それは表向きの話。実は2国の間には、驚くほどの類似点が隠れて居るのです。

私はインドで育ったわけですが、そんな私の耳にも、日本人がとにかく時間を守り几帳面であること、そして衛生的であることは届いていました。

そんなことからも、私自身、日本はインドとかけ離れてる国だと思い、育ちました。

しかし時は進んで2019年。そんな私は日本に留学し、日本語を学んでいました。

ある日の授業で、先生は「世話」という単語を教えてくれました。馴染みのないその言葉でしたが、その意味を聞いた時!ヒンディー語にも正に同じ意味の言葉があることに驚いたのです。(ヒンディー語は、インド人の半分以上が話す言語です)。

日本語とヒンディー語は、ルーツが全く違うのに!

この「世話」における不思議な一致が、2つの国の類似点を探す第一歩となったのです。母国と、住んでいる国の点と点を、繋いでいくような感覚でした。

言語

日本語の特徴として、よく“敬語”の存在があげられます。あまり知られてないことですが、実はインドの言語(一つではありません)にも敬語的な用法が存在します。例えばヒンディー語では、名前の後ろに“ジ”とつけることが多いのですが、これは日本語でいう“さん”と同じ役割です。(私はインドの言語の中でヒンディー語しかネイティヴではなく、他の言語を引き合いに出せませんが、他の言語でも同じような類似点を見つけることができます)

両方の言語は文法的にも驚くほど似ており、更に両言語ともが、バリエーション豊かな“礼儀正しさ”の表現をもっています。日本語とヒンディー語間の学習の可能性を秘めているとも言えるでしょう。

家族意識とグループ主義

文化面・生活面を比べても、あまりにも多くの点が共通しています。

どちらの国も、社会性と評判が生活の中で強く意識され、非言語コミュニケーションと家族意識を大事にしています。

日本でもインドでも、年齢を重ねるとともに社会的階層が上がっていき、年長者への尊敬は敬語と言う形で現れます。日本では年長者に深くお辞儀するのと同じように、インドでは年長者の足を触れることで敬意を現します。

家族は往々にして男の年長者によって率いられ(これについては次にも触れます)、親族関係を大切にします。

そうして、家族やコミュニティが個人よりも優先される、つまり集団主義的な傾向を持っているのです。(インドでは、急速な勢いで個人主義が高まりつつありますが)

ジェンダーと結婚

日本で英語を教えるアルバイトをしている時に、日本人学生たちのジェンダー意識を知る機会がありました。そこで、こう思ったのです。「世界の先進的な国の1つであり、権威あるG7の一員であるにもかかわらず、日本はまだ本当の意味での男女平等を達成していないんだ!」と。そうそれは、インドと同じように。

例えばインドでは、家事は女性の義務と考えられがちですが、日本においても、結婚後は女性が主婦として家事の多くを担っているのが現実ではないでしょうか。

また例えばインドにも、お見合いの文化があります。そしてこれまた日本と同様に、お見合い文化はどんどん少なくなっています。

つまり、両国ともが少しずつ変わっているのです。女性の社会的活躍がその動きを牽引しているのでしょう。しかしこれまた両国とも、保守的な伝統を完全に壊すには、まだまだ長い道のりがありそうです。

形式的には変わってきているとしても、家族内における役割意識自体の変化や、社会に染み込んだ意識そのものが変わるには、もう少し時間がかかるのでしょう。

食べ物

さすがに食べ物に関しては、日本とインドでは大きく異なるかもしれません。

しかし、両国において米は大事な主食ですし、お茶を熱心に飲む文化がある、というのも大きな特徴と言えるでしょう。

日本ではインド料理がかなり人気があり、私が出会った日本人のほとんどが「カレーとナン」について目を輝かせながら語ってくれました。日本料理は、まだインド人の味覚をくすぐるまでには至っていませんが、少しずつ浸透してきています。

日本で食べるカレーが、私の母が作るカレーとは大きく違うように、また、日本人が実は“カリフォルニアロール”も“野菜寿司”も食べないように、食文化も土地を超えると味や形態が変わっていくものです。そうじゃないと、受け入れられることは難しいでしょう。

例え大きく変わったとしても、食べ物が人々をつなぐ大きなポイントであることは間違いないのではないでしょうか。

だって、私はカリントウという日本のお菓子が好きですが、それは、インドのshakarparaの日本版と言えるようなものです!更に言うと、お好み焼きに非常によく似た料理が北インドではRava cheelaと呼ばれ、南インドにはたこ焼きによく似たpadduという料理が好まれています。

この「似ている」感覚が、私と日本の食をつなげ、私と日本を繋げる大事な要素となったことは事実です。

宗教と神話

日本の人口の66%が信仰していると言われる仏教がインドで生まれたことは、ご存知の方が多いと思います。しかし、それだけではない、多くの繋がりがあるのです。

ある景色を例に取ろうと思います。

春の景色で有名な東京の上野公園の中には、不忍池と呼ばれる池があります。その中の小島には弁財天神社があり、受験や就職の神様としてお参りに来る人が絶えません。

弁財天は七福神唯一の女神であり、音楽や言葉の女神、そして現在では知識の神様としても崇められています。その蓮の上に琵琶を抱える姿は、あまりにもある女神と似ています。それは、ヒンズー教の女神のサラスワティ。サラスワティもまた、芸術や音楽、知識、知恵の女神であり、白い蓮の上に座りビーナと呼ばれるインドの古典楽器を抱えているのです(!)

偶然の一致?いいえ、偶然ではありません。弁財天はサラスワティが由来と言われています。これは、珍しいケースではなく、ヒンデゥー教の神々や悪魔が、姿を変え日本文化の中に入り込んでいるのは珍しいことではありません。(ラクシュミ、ブラフマー、ガネーシャなどが一例です)。インドではすでに崇拝されなくなった神々さえ、日本列島全体に見られるものがあるのです。

(そして、神話に興味があろうとなかろうと、夏の不忍池の蓮の花には目もカメラにも、奪われることでしょう。)

このように、独自な文化を持つと思われる日本とインドですが、実は奥深くに多くの共通点を見ることができるのです。

私の、両国を愛す故の勘違いではありません。実際、元駐日インド大師の榎泰邦さんもこう言っています。「日本文化の根底には、インド文化が強く刻まれている。そのことを知ることは、日本人にとって重要だろう」と。

当然のことながらインド人にとっても、文化と歴史に深く刻まれた絆と結びつきを実感し強化していくことは、大切なことだと私は思うのです。

この、長い間忘れられてきた(無いものとされていた?)共有のルーツや歴史の結びつき、社会や文化感の一致が、両国を近づけることを私は祈り、

たった今起きている反グローバリズムの波の中で、共通の理解と意識を重視した国と国の友情の基盤になると、そう願わずにはおられません。

※この記事は、舘そらみさんにより翻訳されました。

datesorami

脚本家・舞台演出家。劇団ガレキの太鼓主催・青年団所属。 慶應義塾大学在学中より演劇活動を始め、2015年映画「私たちのハァハァ」で映画脚本デビュー。 以降、テレビドラマの脚本を中心に活動をしている。2020年の作品は「38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記(テレビ東京)」「来世ではちゃんとします(テレビ東京)」など。 近年では、演劇を使ったWSにも力を入れており、WSを通して日本各地の人々と記憶を題材とした作品作りにも力を入れている。 WEBコラムニストとしては、AMにて連載を持ち、市井の人々のインタビューを重ねている。 私生活では家を持たず各国で移動型生活をしており、そのグローバルな生活とコラムニストとしての実績を生かして本サイト運営に参加。主に編集・アドバイザー・賑やかしとして関わる。