私は、オーストラリアのシドニーで生まれ育つ日系オーストラリア人として、いつか日本に住むことを夢見てきました。

そうして20歳になり、その夢を果たすことになったのです。

6ヶ月間日本で暮らし、そのローカルライフを体験することになりました。

とは言いつつ、毎年日本をに遊びにきていたため、予想通りの日本がそこにはあるだろうと思っていました。

しかし、予想もない日々が訪れたのです!こんなにも新しい経験に出会い、日本への認識を大きく変えることになるとは!

多くの予想外の中の一つを、まずは記してみようと思います。

私は、今回の滞在の前まで、日本という国は驚くほど技術的に進んている国だと思っていました。とんでもなく高速な新幹線や音楽を流すおしゃれなトイレがそのイメージの代表です。

だからこそ、多くの側面において紙が使い続けられていることに、呆然とするほどに驚いたのです。え、デジタル化されてないの!?何で!?そんな来日した途端に驚いた、エピソードの数々です。

え、ノート!?!?

日本に到着したその日のこと、私は早速郵便局で口座を開設しました。その際に“通帳”と呼ばれる小さなノートを渡され、混乱してしまいました。どうやらこのノートは、私の口座情報を記すためのものであり、口座残高を確認したい時や引き出したい時、私は通帳を用いてATMで確認しなくてはいけなかったのです(カードもありますが)。口座残高を確認するためにATMを使わなくてはいけないことに、あまりにも不便を感じました。

というのもオーストラリアでは、口座情報は全てアプリで管理されていたため、通帳の更新や現金の引き下ろしのためにATMの前に行列を作ってる姿を、興味深く見てしまいました。(キャッシュレスもまだそこまで一般化されていないため、現金が必要です)

薬局で薬を購入したところ、ここでもまたノートをもらいました。これは「お薬手帳」と呼ばれるもので、通帳と同じように、受け取った薬の内容が手動で管理されているのです。薬の情報が書かれたステッカーを受け取り、そのノートに貼り付ける、というのが方法です。

このノートは、病院や薬局にて処方歴を確認するために用いられます。このような情報が、オンラインベースで追跡・保存されていないことにあまりにも驚きました。

オンライン対応の口座も増えてきておりますし、医療電子データへのアクセスも容易にはなっていますが、まだまだ日本の主流になっているとは言えません。

シフト確認のための電話!?

もう一つの驚きのシチュエーションは、アルバイト先で起こりました。

私が採用されたバイト先のシフトは紙で管理されており、もしシフト表を店舗で確認できない場合は電話で確認する、というシステムがありました。しかし、私にそれを店長は伝え忘れていたようで、何も知らずに私はバイト初日を欠勤してしまったのです!

バイト先がグローバル展開するチェーン店であったことと、同じ業態のアルバイトをオーストラリアでしていたことから、シフトはメールにて送られてくるものか、もしくは指定のアプリで確認できると思い込んでしまっていました。

バイト可能な日や作業終了報告における誤解やミスコミュニケーションは、その店舗で頻発してるように見受けられました。

私自身、何度か店長にバイトが可能な日を伝えましたが、それらは口頭であったり切れ端にメモされるレベルであったため、忘れられてしまったり紛失されてしまうことがよくありました。

約100人の従業員を抱えるこの店舗において、これらの問題はデジタルプラットフォームを利用することで最小限に抑えられるように思います。

根深いハンコ文化!?

Pressing a seal on a red ink on a wooden background. Japanese culture

銀行口座の開設、市役所での居住の申請、または新しいアルバイトの開始など、個人情報を指定の用紙に記入する機会は日本でよくあります。面白いことにそれらの用紙には、必ず小さな空欄がありました。

なんのための空欄?

そこは、小さなスタンプが押されるための場所でした。

ハンコと呼ばれる私のスタンプは、日本に来る時に母親に渡されていました。しかし受け取りながらも、その用途も重要性も、全くわかっていませんでした。まさか予測もしていませんでした。

日本においてハンコとは、苗字や会社名が(主に)漢字で刻まれたものであり、個人を確認するものとして使われています。サインと似た役割を担っていると言っていいかと思います。

私も、自宅で配達物を受け取った際や、市役所でフォームに記入した時に、「みとめ印」として実際に使用しました(正式な取引よりも、簡略されたハンコ)。

反対に言うと、これらのものは全てオンラインでは行うことができませんでした。もしかして、ハンコ文化こそが、日本のデジタル化への移行を妨げているのかな〜?と疑問に思うのでした。

ビジネスの場でもハンコは多く使われ、正当性や承認の印とみなされます。

例えば上司の承認を必要とする場合、従業員は承認の印として上司にハンコを押してもらう必要があります。また例えば、読むべき書類が回ってきた際に、「見た・確認した」の印としてハンコが押されます。

また一部の企業では、記録簿にハンコを押すことを出社の印としてるようです。ハンコは、日本のビジネスの多くの局面で使用されているのです。

この紙媒体書類の多用とハンコ文化は、コロナ禍でいくつかの問題を引き起こしました。急速に強いられた在宅勤務に、対応できなかったのです。

「緊急事態宣言」下にも関わらず、東京ではある調査によると中小企業に務める76.7%が会社に出向く必要があったと言いますが、このうち38.8%もの人が書類を整理するために訪問し、22.2%もの人がハンコを受け取るために訪問しなければいけなかったと言われています。

私の友人の1人も、こんなことを言っていました。「週に2回は、ハンコをもらうために出社しなければならない。感染の危険があるから怖いんだけどなあ……」と。

私は、将来的に、ペーパーレスシステムへと移行し、ハンコの代わりにデジタル署名を使用する企業が増えることを期待してしまいます。

それは、恒常的な訪問を無くし、生産性や効率を向上させることに繋がると思うのです。

また何より今必要なのは、感染拡大のリスクを排除するための、抜本的な変更だではないのでしょうか。

他方、少し矛盾しているかもしれませんが、私は、ハンコは単なるスタンプ以上のものであり、成長の象徴のようなものだと感じました。日本においてハンコとは、単なる手続き上の存在ではなくそれだけ重要なものだと感じたのです。

家の購入や結婚など、重要なライフイベントでは必ずハンコを用います。そう言った意味からも、ハンコは象徴的な意味をもっているのではないでしょうか。実際、成人式や誕生日の際にごく近しい人からの贈り物して渡されることもあるようです。デザインや色を選び、願いを込めて親しい人が贈る、そんな存在でもあります。

ハンコ文化自体への疑問は感じながらも、豊かな文化の一部としてのハンコは、残り続けることを祈ります。

あれ?なんで紙なの?

日本の紙文化、それに付随するハンコ文化の現状を考えてきましたが、

でも、じゃあ一体、なぜ、こんなにも日本では、紙でのやり取りが重視されてるのでしょうか?こんなにも高度な技術を持っている関わらず??

一因として、高齢化があるかもしれません。

2018年の日本の人口データでは28.4%が高齢者であり、それはつまりオンライン化の必要性を感じやすい世代が少ないことを意味します。高齢者にとってみれば、使い方の習得の難しさや、感覚的な拒否反応から、オンライン化のハードルは高いことでしょう。

実際、顧客基盤の古い日系銀行は、需要がなかったため、オンラインサービスの導入が遅れてきたようです。

また他の要因として、日本の生活様式のあらゆるところと紙が深くつながっている、ということもあると思います。

日本の伝統的な家屋を訪ねると、障子と名付けられた和紙でできた引き戸がありますし、デパートで買い物をすれば、幾多の紙を層のようにして繊細に包装してくれます。文房具店に行けば、一つの通路丸ごとが、メッセージカードや封筒で埋められ、結婚式や元旦、お葬式など、機会に応じて使い分けるために並んでいます。

日本はまた、手漉きの和紙が有名で、耐久性が強くとても薄い薄い工芸品として残り続けています。

日本では、紙は、深い感謝や信頼を現す象徴的な意味を担っており(その色や材質や形へのこだわりがすごいこと!)これは他の国では見ることはありません。

日本の親戚に、かつて言われたことがあります。日本において紙は、人が繋がり、絆を築くことができる存在だ、と。紙への信頼や愛着の強さを痛感したものです。これが、日本において、顔を突き合わせ対面することの価値を際立たせているように思います。

これから日本に住む方へ

日本に住むためには、様々な書類に記入する機会があります。私の時にはそれらは全て日本語で書かれていました。

もしあなたが日本で銀行口座を開く時や健康保険など、各種契約をする時、英語のサポートシステムがあるか事前に確認した方が良いでしょう。無い場合は、日本語を理解する友人を連れていくことをお勧めします。

このパンデミックが終わった後でも、日本は引き続きゆっくりとオンラインに移行していくと思います。

この移行は、もっと作業効率が良い新しい技術を導入する良い機会になると私は信じています。

※この記事は、舘そらみさんにより翻訳されました。

datesorami

脚本家・舞台演出家。劇団ガレキの太鼓主催・青年団所属。 慶應義塾大学在学中より演劇活動を始め、2015年映画「私たちのハァハァ」で映画脚本デビュー。 以降、テレビドラマの脚本を中心に活動をしている。2020年の作品は「38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記(テレビ東京)」「来世ではちゃんとします(テレビ東京)」など。 近年では、演劇を使ったWSにも力を入れており、WSを通して日本各地の人々と記憶を題材とした作品作りにも力を入れている。 WEBコラムニストとしては、AMにて連載を持ち、市井の人々のインタビューを重ねている。 私生活では家を持たず各国で移動型生活をしており、そのグローバルな生活とコラムニストとしての実績を生かして本サイト運営に参加。主に編集・アドバイザー・賑やかしとして関わる。